2012年6月6日水曜日

Desperate Housewives 終了

『デスパレートな妻たち』が、シーズン8で、フィナーレを迎えることになる、ということは、以前の日記のどこかで、ちらりと書いたと思うのですが、

最終シーズンの最終話(第22話&第23話)が、二話連続で放送になったのが、5月13日のこと。


最後の数話の鑑賞をなんとなく延ばし延ばしにしていた私も、覚悟を決めて、5月の下旬頃には、最終回までの鑑賞を終えたのですが、

その内に、ちょっとだけでも感想を書きたいなーと思いつつ、

例によって、あれこれ理由をつけては、日記書きをさぼりつづけ、ここまで来てしまいました。


ところがつい先日の6月2日、


Mrs. Karen McCluskey として、曲者ぞろいの、Desperateな4人(5人?)のGirlsたちにもまったく引けをとらない個性と存在感をドラマの中で強烈に光らせていた、 Kathryn Joosten が、肺がんのため、72歳で亡くなったというニュースが飛び込んできて、


なんだか本当に、『デスパレートな妻たち』というドラマに幕が下ろされたのだ、という気持ちになりました。


ということで、本当にほんのちょこっとだけになりますが、『デスパレートな妻たち』のシーズン8について、このあたりで、感想を書いておきたいと思います。





以下、日本ではまだ放送に(たぶん)なっていない『Desperate Housewives』のシーズン8のネタバレが出てくる可能性がありますので、閲覧ご注意願います。


















最終回までの鑑賞を終えての感想は、一言でいえば、とてもきれいに色々なことに整理がつけられたな、という感じ。


それをできすぎのこじつけすぎと言ってしまえばそれまでですが、


メアリー・アリスの自殺を引き金に、謎が謎を呼ぶ妙に複雑なプロットをベースにしたミステリーを背景に、

ある意味では、ありふれた主婦たちの日常や悩みなんかが絶妙に織り込まれて、

このドラマを鑑賞しはじめた頃には、主婦の端くれだった私も、どんどん恐ろしい展開になるミステリーにびくびくしつつも、妻たちの悩み事なんかに微妙に共感しつつ、

悔しいくらいに引き込まれて楽しんだドラマでした。


しばらく鑑賞を離れて、一時はもう鑑賞を再開することもないかなと思ったものの、ふとしたはずみに鑑賞を再開してみると、続きが待ちきれないくらいに、どっぷりとはまってしまうという…


なんなんでしょうね?


このドラマの魅力は。


根が単細胞な私は、ローラーコースターのような山あり谷ありのわかりやすい展開に、簡単に乗せられて、笑ったり泣かされたりしてしまった、ということなのかもしれません。


でも、脚本に完全に乗せられているとわかってはいても、


Supernaturalのように、台詞や表情の裏に隠れた意味を妄想込みでついつい勘ぐってしまうドラマとまったく対照的に、


ドラマを見ている間、余分なことを考えずに、画面上の見たままに一喜一憂させられて、


鑑賞が終われば次のエピソードの放送まで、すっぱりきれいにドラマのことを忘れていられるという、


私にとっては、見ている間は、本当に楽しめるのに、後をひかない、なんだかすがすがしいドラマでもありました。


デスパレートな Girls はそれぞれ新しい人生に向けて、ウィステリア通りを旅立ってしまったけれども、


そんなGirlsと入れ替わるように、また一人、なんらかの秘密をかかえた主婦がウィステリア通りに引っ越してきていたわけで、


一見、ミステリーやサスペンスとは無縁にみえる閑静な郊外ののどかな住宅地である、あのウィステリア通りが存在している限り、いつかまた、新たな『デスパレートな妻たち』を観られる日がくる可能性も皆無ではないというということを暗示していたということになるわけですよね。


最終回を見終えて、もっと寂しい思いをするかと思いましたが、シーズン3~シーズン8が放送されている間、鑑賞を休んでケロッとしていた私でもあり、


ミステリー&深まる一方の謎の大風呂敷を広げるだけ広げたまま、ええっ???という感じで、ドラマの打ち切りに直面してしまった感もぬぐえない X-Files Fangirl な私でもあるので、


こんな風にきれいなしめくくりできっちりすっきりと最終回を見せてもらって、今現在は、一人静かに惜しみない拍手を送っているところです。

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