2011年6月21日火曜日

どーでもいいこと

どーでもいいことなんですけど、

何の気なしに観賞した映画や、ドラマで、日頃馴染みのドラマで見かけた人を見かけると、

ねえねえ、ちょっと聞いて!

って言いたくなってしまうことってありませんか?


本当に、どーーーでもいいことなんですけど、コマコマとそんな気持ちが溜まって来ているので、ちょっと覚書程度に書き出してしまうことにします。


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前回の日記に書いた『The Resident』に

某Sammyさんの究極のPuppy Dog Face 『I lost my shoe...』が現れたエピソードでもある

『Bad Day at Black Rock 』で初登場した、イエス様マニア
(後に、Sammyは危険だ!殺さないと!というゴードンの意見に同調して、Sammyさんを手ひどくぶったりした)

Kubrick おじさんが、ちらっと出ていました。

JDM演じるマックスの、ジュリエットに対する危険な粘着愛がバレてしまうきっかけとなる、監視カメラを設置する業者さん役でした。

彼、Winchester家に繋がる存在とは、相性悪いみたい。


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シーズン5からシーズン6にかけ、天国や地獄や煉獄関係のプロットがうざくなりすぎて、Supernatural から心が離れ始めてしまったFangirlsの心の多くを一挙に鷲掴みにした

『Hawaii Five-0』 シーズン1 第2話には、

超キュートすぎるちびサム君こと、Colin Ford 君が出ていてびっくり!

SPNで最後に見かけた時より、ちょっと(だいぶ?かな)背も伸びて、随分お兄さんらしい顔になっていた気もします。
(まだまだ本当に超~~~!!!可愛いけど)

沢山の大人たちに混じって、難しい役どころを熱演していて、

この子の苦悩する表情に、幼い Sammy Winchester さんの面影が丸被りして、

「あー、またちび兄弟のエピソードが観たいっっ!」

と強烈に思いました。



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英国版を一挙観賞した勢いにつられて見始めた(現在時間がなくて、なかなか進みませんが)

『Being Human』 米国版ですが、

なんとこの米国版の脚本を全編に渡って手がけたのは、クリプキ先生が一線を退いた今、Supernaturalの脚本部門の実質筆頭に立ったと言ってもいい、

Jeremy Carver だったことに、つい先日気づきました!

『ついて来れる者だけついて来なさい』的な完全に上から目線の英国版のプロットに対して、

大筋は同じ道を辿るものの、細かいところでところどころ、英国版では視聴者自身の解釈&深読み力に任されていた部分を

『皆、振り落とされないでね!ちゃんとついて来てるかい?』的に視聴者に分かりやすく噛み砕いて、翻訳してくれているような米国版、

キャラの構築なんかの面では特に、それなりに評価できる部分も、もちろんあるのだけれども…、

反面、米国ドラマ界の、これ見よがしな 『視聴率第一!それも継続的について来てくれるFanを獲得すること!』 という商業主義を見せ付けられた気もして、

うーん、色々考えさせられます。

米国版も、ドラマとしてはよく出来てると思うんだけど!

英国版のような、ある意味、見苦しいくらいの 『格好悪さ』 ゆえに、胸の奥底にどんっと響いてくる感じが薄められてしまっているような気がして、ちょっと残念な感じがするのです。

そんな『Being Human』米国版に、

ルシファ(の仮のVessel)こと、Mark Pellegrino が、大変重要な役どころで出ているということは、以前の日記で触れましたが、

本物のルシファの Vessel こと、Sammy さんが、地獄に再び幽閉されることになったルシファに付き合わされて地獄に単身赴任している間、Dean と家族として暮らしていた

Lisa こと Cindy Sampson も、

これまたなかなか重要な役どころで、二つのエピソードに出演しています。

しかもこれがまた、10歳くらいの男の子のお母さん役。

Mark も Cindy も Jeremy Carver が、配役に一枚噛んでる気がする…。

Supernaturalファンを『Being Human』に取り込もうとしてる?


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「あー!あのドラマに出ていたあの人が!」っていうの、他にもまだ誰かいたような気もするけど、うーん出てこない…。

ま、これで、ちょっとすっきりしたので、またシーズン6の考察の続きを…、怠け癖が出すぎてしまう前に…、なるべく早めに投稿したいと思っております。

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